仕組みで売れる体制づくり「営業の成約達人」の仕組みの作り方-第530話 エース社員の独立を、昇給と肩書きで止めた会社に起きること
「なんとか独立を思いとどまらせたのに、売上は少しも伸びていない。」
「課長にしてから、あの担当先のことを誰も口にしなくなった。」
「営業計画を開くと、結局あいつの数字を足しているだけだ。」
「若手まで、いずれ自分も独立したいと言い出した。」
どれか一つでも思い当たるなら、少しだけ立ち止まってください。
昇給と肩書きでエース社員の独立を止めた会社では、止めたその日から、もう一つの問題が静かに始まっています。
しかもその問題は、本人が会社に残っている限り、数字の上にはほとんど現れません。
エース社員の独立を昇給と肩書きで止めた経営者は、何を見落としているのか?
エース社員の独立とは、会社の売上を最も多く担う社員が、顧客と売り物を自分で決めたいと考え、会社を出て自ら事業を起こすことです。
退職して同業の他社へ移ることとも、定年で会社を去ることとも、出ていく理由がまったく違います。
ある社長と私の、こんなやり取りがありました。
社長「うちのエースが独立したいと言ってきましてね。給料を上げて課長にして、なんとか残ってもらいました。」
私「残ってもらって、会社の何が変わりましたか。」
社長「変わったというより、守れたんです。あいつの担当先の売上が丸ごと抜けるところでしたから。」
私「では、その方は独立して、どんな事業をやりたかったのでしょう。」
社長は少し考えてから、「……そこまでは聞いていません」と答えました。
ここに落とし穴があります。
引き留めは本来、会社の売上を守り、その先で伸ばしていくための手段です。
ところが、独立の話が出た瞬間に「出ていかせないこと」そのものが目的になり、止められた時点で経営者の仕事は終わったことになってしまうのです。
世間では、役職手当は過去の働きへのご褒美ではなく、これから果たす役割に対する前払いとされています(普通にもらえるものではない、という見方です)。
前払いをしたのであれば、何の役割を前払いしたのかが決まっていなければなりません。
肩書きは渡したのに、会社が誰に・何を売るのかという役割は渡していない。
会社の事業とは何か、つまり誰に何を売る会社なのかを経営者が決めていなければ、肩書きの中身は本人が自分で埋めるしかないからです。
エース社員が独立を思いとどまったあと、会社の中では何が起きていくのか?
エース社員が独立を思いとどまった会社では、表向きには何も起きていないように見えます。
数字は守られ、本人も毎朝同じ時間に出社してくるからです。
ですが会社の中では、次の4つが順番に進んでいきます。
① 肩書きが付き、担当先に誰も口を出せなくなる
課長になった本人の担当先について、営業会議で質問する人がいなくなります。
経営者も「そこは課長に任せてある」の一言で、話を先へ進めるようになります。
引き留めた負い目があるぶん、経営者のほうから踏み込みにくくなるということです。
② 社内で、本人の事業が続いていく
どの取引先に通い、保守や更新の時期に何を勧めるかを、本人は自分で決め続けます。
それは、独立して始めたかった事業そのものです。
会社の看板の下で、本人の事業が営まれ続けているのです。
③ 会社の営業計画が、本人の数字の足し算になる
年度計画を作る時期になると、課長の見込みをそのまま書き写し、残りを若手に割り振って一枚が出来上がります。
計画書の上では会社の目標に見えても、中身は本人の事業の写しです。
エース社員依存は、ここで会社の計画という形をとって固まります。
④ 次の候補者が、同じ道を考え始める
若手は、会社で一番売る人が、売り先も売り物も自分で決めていることを毎日見ています。
そして、会社の中で決められるようになるには、一度独立を口にするしかないと学んでしまいます。
この4つは別々の問題ではなく、①が②を許し、②が③を生み、③が④を呼ぶという意味でつながっています。
止めたはずの独立が、会社の中で静かに繰り返されているということです。
【実録事例】独立を止めた業務用機器の販売・保守業で、二年後に何が起きていたのか?
業務用機器の販売・保守業を営むM社長の会社で、当社がご一緒した事例です。
看板の下の別の店
二年前、エース社員のSさんが「独立したい」と申し出て、手書きの事業計画書をM社長に差し出しました。
M社長はそれを読まずに机の引き出しへしまい、翌月、昇給と営業課長の肩書きを示して思いとどまってもらいました。
Sさんは残りました。
ただ、どの担当先に重点的に通うかも、保守契約の更新のときに何を提案するかも、決めていたのはSさん本人でした。
課長になったSさんの担当先に、口を出す人は誰もいません。
会社の営業計画は、Sさんの見込みに若手の数字を足しただけのものでした(M社長は「計画はSに聞くのがいちばん早い」と話していました)。
二年が経ち、Sさんの担当先は安定していましたが、会社として新しく開いた取引先は一社もありませんでした。
そんなある日、若手の一人が「自分も、いずれは独立したいと思っています」と口にしました。
M社長は当社に、「止めたはずなのに、また同じ話が始まっている」とこぼされました。
人は引き留められても、会社は二年前から一歩も動いていなかったのです。
百貨店が品揃えを決める
転機は、次の年度計画を立てる時期に訪れました。
机の奥を片付けていたM社長が、二年前の事業計画書を見つけ、そこで初めて開いたのです。
書かれていたのは、誰に・何を売るか、保守契約の更新時から次の提案へどうつなぐか、そして狙っている新規先の名前でした。
「うちの営業計画に、一行も書かれていないことばかりでした。」
M社長は二つのことに気づきました。
一つは、Sさんが独立したかったのは、お金のためではなく、自分で事業を決めたかったからだということです。
もう一つは、会社が渡せたのは昇給と肩書きだけで、その結果、Sさんは社内で自分の事業を営み続けていたということです。
独立を止めた日から、エース社員は社内で独立していたのです。
そこからM社長は、当社と次の3つに取り組みました。
ステップ1 社長自身の言葉で「誰に・何を」を決め直す
M社長はSさんの計画書を読み込んだうえで、誰に・何を売るかを、会社の事業として自分の言葉で書き直しました。
ステップ2 営業会議の報告を「誰に・何を」から始める
決め直した一文を会議の議題に置き、商談の報告をそこから始めるようにしました(担当先の付け替えはしていません)。
ステップ3 計画書にあった取り組みを、会社の柱にする
保守契約の更新時期に合わせた入れ替えの提案を既存の契約先への増販の柱として目標に入れ、計画書にあった狙う先の開拓を増客の柱として、営業全員が受け持つことにしました。
半年後、Sさんの担当先以外からも、入れ替えの商談が上がってくるようになりました。
独立を口にしていた若手の報告にも、初めて会社の事業の言葉で、新規先の名前が載りました。
M社長は、当社にこう話してくださいました。
「肩書きを渡して安心していました。渡すべきだったのは、うちが誰に何を売る会社なのか、だったんです。」
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エース社員依存は、独立を止めても、なぜ残り続けるのか?
エース社員依存が独立を止めても残るのは、本人が会社にいるかどうかと、会社の品揃えを誰が決めているかが、別の話だからです。
百貨店の中に入っているテナントを思い浮かべてください。
建物には百貨店の大きな看板が掲げられていますが、その売り場の棚に何を並べ、どう見せるかを決めているのは、看板を掲げる百貨店の側ではなく、テナントのほうです。
昇給と肩書きで独立を止めるというのは、このテナントとの契約を、条件を良くして延ばしたことにあたります。
契約が延びても、棚の品揃えを決めるのはテナントのままです。
依存が残るかどうかは、人が残ったかどうかではなく、品揃えを誰が決めているかで決まります。
誤解のないように書き添えると、テナントが悪いわけではありません。
百貨店の側が、自分の売り場に何を並べるのかを決めていないから、テナントが決めるしかなかったということです。
営業の仕組みやマニュアルも、本来はここで使うものです。
それは、エース社員のやり方を写し取って配る道具ではなく、会社が「誰に・何を」を決め、その品揃えを営業全員の棚に並べるための道具です。
「事業とは何か」という問いに会社が答えて初めて、仕組みは本人の店ではなく会社の売り場で働き始めます。
昇給と肩書きでエース社員の独立を止めた会社で、経営者が明日からできることは何か?
昇給と肩書きでエース社員の独立を止めた経営者に、明日一つだけ試していただきたいことがあります。
「当社が今日創業するとしたら、誰に・何を売るか」を、経営者自身が一枚の紙に書いてみることです。
形は、エース社員が独立を申し出たときに渡してきた計画書と同じ一枚にそろえてください(計画書を受け取っていなければ、そのとき本人が口にしていた話の並びで構いません)。
書く項目は三つです。
どんな取引先に売るのか、どの機器やどの保守の提案を売るのか、そして最初に訪ねたい先はどこか。
今ある担当先や去年の実績を見ながら書かないでください。
見ながら書くと、今の売り場をそのまま写してしまうからです。
上手に書けなくても構いません。
この一枚は、会社の中で「誰に・何を」を話し合う場づくりの、最初の材料になります。
書いた翌朝のことです。
机の上に置いたままの一枚に目を留めたエース社員が、何気なくこう言います。
「この先、僕の計画書と同じ並びですね。」
経営者はその場で、会社の分として書いたつもりの「誰に」が、本人の担当先をなぞっていただけだったと知ります。
まとめ
昇給と肩書きでエース社員の独立を止めたこと自体は、間違いではありません。
止めた日から、会社が誰に何を売るのかを決める仕事が始まっていた、ということです。
書いた一枚が本人の担当先をなぞっていたなら、それは会社がまだ自分の品揃えを持っていなかった印であり、そこが会社の事業を決め直す出発点になります。
エース社員の計画書が手元にあってもなくても、確かめることは同じです。
担当先の一覧も去年の実績も閉じたまま、あなたは自社が誰に何を売る会社なのかを、一枚の紙に書き切れるでしょうか。
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